【書籍・紹介】「憲法の創造力」(木村草太・著)の読み方

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たくお

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どーも、たくお、です。就労移行支援事業所を経て外資系総合人材会社に就職しました。音楽は、ユニコーンと奥田民生、スピッツ。食べ物は、ラーメン・つけ麺が好きです。チーズが食べられません。2019年6月から禁酒中です。

どーも、憲法に関する書籍を読むのが好きな、たくお、です。

みなさんは「憲法の創造力」と聞いて何を思い浮かべますか?「いや、それをこれから紹介するのだろ」。

そうです。気鋭の憲法学者である木村草太首都大学東京教授(憲法学)が「憲法の創造力」について語ります。では早速、本書の紹介をしましょう。

本書が目指し心がけたこと

「通説」や「大原則」にあえて疑問を投げかける

本書で、著者は何を語るのか?本書の「はしがき」には、

この本では、最新の判例に現れた憲法問題を題材に、これまで当たり前と考えられてきた「通説」や「大原則」にあえて疑問を投げかけてみることにした。

と述べられています。

あえて疑問を投げかける、というのはとても魅力的ですよね。しかも「通説」に、です。

「通説」とは、これまでの議論を経て一般的に考えられ浸透している学説と言えばいいのでしょうか。

安易な権力批判でなく辛抱強く問題の核心に迫る

上記の本書にかける思いは、奥平康弘先生(東京大学名誉教授・故人)の「憲法の想像力」(日本評論社・2003年)を学んだこと、それを実践することにあると言います。

安易な権力批判ではなく、多様な視点から辛抱強く問題の核心に迫ることの重要性を教えてくれた。本書は著者なりのその実践である。

と。多様な視点は「通説」「大原則」に疑問を投げかけることにつながっていると思います。

さて、どのような疑問を投げかけるのでしょうか。

本書で取り上げる最高裁判例は6つ

本書で取り上げる最高裁判例は6つあります。どの判例も、私たちの暮らしと生活に密着に結びついています。

取り上げる順番は本書に沿っていますが、ご興味のある判例から読み進んでください。

君が代不起立問題の視点〜なぜ式典で国家を斉唱するのか?

学校の式典(入学式・卒業式)で君が代の伴奏や起立・斉唱を拒否したことに対して処分を受けた先生たちが訴訟を提起しました。

この問題で最高裁が初めて判断を示したのが平成19年(2007年)です。今から12年も前のことなんですね。

最高裁は、先生たちの主張(憲法19条 思想・良心の自由違反)を退けました。

本書は最高裁の判断を検討するとともに、職務命令が安全配慮義務やハラスメント、差別の問題として考えるべきであるとの結論に達します。

この問題は一般的に思想・良心の問題として扱われることが多いと思います。

しかし、学校現場を先生たちの「労働環境」とした視点で捉え直すなら、安全配慮義務や嫌がらせ(ハラスメント)という問題提起と主張ができることになります。

また、ある特定の思想を持った先生を「差別」的に扱うという視点も斬新でした。

ピアノ伴奏や起立・斉唱を拒否することを「わがままだ」という意見もあるかと思いますが、逆の立場になったらという想像力も必要だと思います。

1人1票だとどんな良いことがあるのか?〜クイズミリオネアとアシモフのロボット

憲法14条(法の下の平等)に関わる問題です。

1人1票でない現状があり、国政選挙が行われるたびに訴訟が提起されています。

憲法学説・判例は、「平等選挙」の要請には「投票価値の均衡」も含まれるとしてきました。しかし、「完全な」1人1票の実現は簡単ではありません。

ですから、どのような理由で、どこまで不均衡を許容するのか、が議論の焦点となります。

ここでは「1人1票実現国民会議」の主張も取り上げられていますので、興味のある人は調べてみてください。

また、本章のサブタイトルについて「なんだこれ?」と思う人は、本書をお読みください。

最高裁判所は国民をナメているのか?〜裁判員制度合憲の条件

裁判員裁判制度が平成21年(2009年)から始まりました。今では、国民の間に根付いていると言えます。

しかし、裁判員制度については、導入が検討され始めた頃から、違憲論が出されていたのですね。

違憲論は大きく分けて3つ。本書では、このうち2つについて「真剣な検討が必要」として、①「迅速な」裁判を受ける権利の侵害である、②裁判員の憲法上の自由の侵害である、という主張を検討します。

さらに、憲法18条(その意に反する苦役に服させられない)との関係も問題となる、としています。

最高裁判所は、裁判員制度導入から2年が経過した平成23年(2011年)に、裁判員制度の合憲性について判断を示すことになります。

この判断についての検討を行いますが、先に挙げた憲法18条と裁判員制度の関係はもっと真剣に考えられなければならないと強調しているのが印象的でした。

もし、みなさんが「裁判員に選ばれた」時、それが「意に反する苦役」なのか、裁判員として裁判に参加するのは「権利」だから「苦役」に当たらないと考えるのか想像力を働かせてみてください。

日本的多神教と政教分離〜1年は初詣に始まりクリスマスに終わる

政教分離について扱う章ですが、サブタイトルが日本(人)の状況を端的に現していますね。面白い。

私は初詣はしませんが、クリスマスにはケーキを食べます。このような人は多いのではないでしょうか。

でも、国家と宗教とのかかわりとなると話は違ってきます。憲法20条に政教分離の規定があるからです。

また、憲法89条には宗教組織・団体に公金を支出することを禁じています。

なぜ、この規定が置かれたのか。

それは、戦前の国家神道の利用が大規模な宗教的迫害を引き起こしたからです。この反省の上に立って政教分離原則を保障しました。

だったら、国家は宗教を一切利用してはならないのか?という疑問も湧いてきます。

現実的にそれが難しい事例もありますが、判断の分かれるところだと思います。

が、最高裁は、厳しい態度をとってはきませんでした。

「目的効果規準」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。最高裁が政教分離の判断を行う時に用いる規準です。

本書では「目的効果基準」を批判的に検討します。

生存権保障の3つのステップ〜憲法25条1項を本気で考える

憲法25条は生存権について規定しています。

「健康で文化的な最低限の生活」という言葉は、学校で学習したと思いますし、このタイトルのコミックがでテレビドラマ化したので身近に感じられるかもしれません。

「自分とは無関係」と思う人も自由主義経済のもとで、この規定の必要性を感じる時が来るかもしれません。

この章で扱う最高裁判例は、有名な「朝日訴訟」です。この訴訟で朝日さんの主張は認められませんでしたが、生活扶助基準の算定方式が改訂されました。

憲法25条といえば「生活保護」が思い浮かびますが、本書では「住居」問題も取り上げています。

震災で住居をなくした人たちのための「住居」は憲法25条に照らしてどうあるべきかを考えています。

少し違った視点からのアプローチですが大切なことです。

本章の「まとめ」では、生存権保障の現実から目を背けてきた憲法学説にも、反省しなければならない点が多いと思う、としつつ、生活保護について改めて触れられています。

自公連立政権は生活保護基準の切り下げへの動きを本格化させている。(中略)

こうした政府の動きは、現時点でも十分とは言い難い生存権保障をさらに後退させるものだと言わざるを得ない、と。

公務員の政治的行為の何が悪いのか?〜国民のシンライという偏見・差別

現行の法律では、公務員の政治的行為が厳しく禁止され、違反者には刑罰や懲戒処分が科されます(地方公務員は、懲戒処分のみ)。

なぜ、このような法律があるのか、その根拠は「公務員の中立性」にあります。

つまり、公務員は自分の個人的な政治的信条とは切り離して職務を行わなければならないからだと、説明されます。

もちろん、公務員の権限・地位の濫用を伴う政治的行為の規制は必要で、これを否定する人はいないと思います。

しかし、勤務時間外に、職場を離れて、黙々とポスターを貼ること、はどうでしょうか。

現行の法律は、このような行為まで一律に禁止しています。

それは、最高裁(猿払事件)判決によると、「中立性」だけでなく「国民のシンライ」確保という目的と照らしてどうか、という検討を行い判断しています。

では、「国民のシンライ」とは何か?

「休日に政治的行為をする人は、仕事でも偏ったことをするはずだ」という信念を持つ人のシンライではないかと指摘します。

で、政治的行為をする人を「変わった人」だと思ってしまう。でも、日本社会は政治的にも宗教的にも多様な考えを持つ人の集まりではないでしょうか。

「変わった人」を排除するということは、多様な価値観と考えを持ち、思いを馳せる公務員組織としてそれが本当に「中立」と言えるのかどうか。

結局、「国民のシンライ」という目的は、偏見と差別に迎合することを意味する、と指摘します。

この問題では平成24年(2012年)に2つの最高裁判決が出されました。

2つの事件とも休日に政党機関紙を配布した事案ですが、1つは無罪、もう1つは有罪と判断が分かれました。

管理職かどうかが判断の分かれ目ですが、その理由について批判的に検討します。その上で、結論を分ける理由はないと。

まとめ〜憲法9条の創造力

憲法9条を素材にして、総括します。

憲法9条の政府解釈に始まります。要するに、自衛のための必要最小限度の枠を超えなければ、憲法9条に違反しない。

それが、例えば「自衛隊」から「自衛軍」に名称が変わっても、外交・防衛政策は別としても、違憲とはならない。その上で憲法9条の意義は、常に「それが自衛のために必要最小限度と言えるのか」の説明を求めるところにある、とします。

また、国際法の観点から憲法9条を制定当時には「ふつう」でなかったかもしれないが、現在では、国際法の基本原則を確認する規定だと考えるべきだと指摘します。

その後、奥平康弘先生の憲法9条に関する見解を紹介しながら、その思いを代弁します。

たくお

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どーも、たくお、です。就労移行支援事業所を経て外資系総合人材会社に就職しました。音楽は、ユニコーンと奥田民生、スピッツ。食べ物は、ラーメン・つけ麺が好きです。チーズが食べられません。2019年6月から禁酒中です。

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